終わりなき旅

【夢見てた未来はそれほど離れちゃいない】と信じながら、子供達の成長記録、趣味のことや投資について書いていきます。

明日やろうはバカヤロー~思い出せば10年前にも③

こんばんはです。

 

今日のおはなしは先日の宅地建物取引士試験前に書いていた記事の完結編です。

完結編という大それた話ではございません。

ただ思い出を開いたので最後まで読んでもらえれば幸いです。

 

まずは過去の記事になります。

 

natsunooto.hatenablog.jp

 

natsunooto.hatenablog.jp

 

初めての子供が産まれ、毎日毎日かわいくてフローリングで横になって寝顔を見ているとすぐに悪魔が、『今日はもう寝ちゃおうよ』と囁いてきます。

何度も何度も頭の中で葛藤するのです。

普通は天使と悪魔が頭の中で言い争うわけですが自分は違いました。

悪魔と不合格で切れている常務が戦っていました。

そりゃもう悪魔の囁きなんかは聞こえません。

 

毎日子供に後ろ髪を引かれる思いで別の部屋に行き教科書読んで書いて覚えるを毎日2~3時間行いました。

その後、子供の隣でフローリングで雑魚寝、寝顔を見ながら寝る幸せなひとときを疲れながらも感じていたのを今でも覚えています。

 

1ヵ月くらい毎日やりました。

全く意味がわからなかった文章が3周くらい読み続けると、知らない間に意味がわかるようになっているんです。

そうやってまずは試験の土台をしっかり作りました。

その後、肉付けのように過去問を解きました。

過去問に関しましては非常に有効な勉強方法だと思っています。

(今回の宅地建物取引士試験では土台部分に時間がかかり、肉付け部分への期間があまり取れませんでした。)

日々同じような問題を解いていくことによって回答するスピードも正答率も上がり相乗効果しかありません。

 

そして試験当日。

四皇の二人は、『今回もダメだ。』と。

部下は『全然勉強出来てないっす。』と。

自分も『今回は少し勉強したけど厳しいかな。』と。

 

結果、四人全員受かりました。

『何だよ!みんな爪隠してるんじゃん!』と思いつつ受かって良かったと安堵したのは今でも覚えています。

 

勉強して免許を取得して感じた事は、工場で様々な所で工場の従業員人数を聞かれた際には気を付けなければならないのだと理解しました。

自分がいた工場は繁忙期と閑散期が大きく派遣従業員の増減が大きかったのですが、50人以上の工場では第一種衛生免許を所持している人間が必要など、知らない事が多々ありました。

自分の工場では40人~70人くらいいたので、よくよく考えればNGだったのかと。

 

やはり必要な免許はしっかり所持していないとダメなんだとつくづく痛感しました。

 

そんな思い出のお話でしたが、ちょっと乱雑な文脈で申し訳ありません。

 

今日はそんな四皇と自分達で呼んでいる二人と忘年会でした。

19時から飲んで22時過ぎまで話して一人は飲まない人間なので自分ともう一人を送ってくれました。

まだ会社に残っている一人は31日まで仕事、辞めて農家になった一人は昨日で仕事納めと言っていました。

本当に社会人になって腹割って話が出来る人間の数少ない二人。

バカも出来るし真面目な話も相談も出来る。

本当に大事な友人で感謝ですね。

 

30日はスタッドレスタイヤに履き替えにガソリンスタンドへ行く予定で、以前いた栃木県佐野市の工場まで行って部下に会う予定です。

丁度29日に連絡があって挨拶がてら今日の忘年会行けなくてすみませんと連絡をもらいました。

(色々佐野工場にいた際に良くしてもらっていたので、今も工場近くの足利市のガソリンスタンドでタイヤを預かってもらっているので交換時は工場の近くまで行くので顔出ししてるんです。)

 

辞めてからそろそろ4年になりますが、今でも連絡をくれる部下、たまに四皇二人プラス部下で食事もしますが四皇二人同様大事な友人です。

 

じゃあ何で辞めたんだ?となりますが、それはまた別の話で。

 

あっ!

最後に自分にとって第二の父親だと思っているあの時の常務ですが、先日会いましたが今は食品関連の全国○○連合で副会長やっております。

 

今振り返ると、相当凄い人の近くで常に仕事をさせてもらい、怒られ役として様々な社会勉強をさせてもらったと思います。

またどこかで一緒に仕事がしたいなんて言ったら切れられるかも知れませんが、今日飲んだ四皇二人も同じ事を言っていました。

 

本日も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。